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ワールドウォッチ21世紀シリーズ

『地球環境ガバナンス』

(ヒラリー・フレンチ著 福岡克也監訳/環境文化創造研究所訳/地球環境財団日本語版編集協力/社団法人家の光協会刊 1900円+税)

地球環境ガバナンス

日本語版の読者に寄せて

第㈵部 グローバリゼーション時代の環境

第1章 グローバリゼーションの光と影

第2章 包囲攻撃される自然

第3章 大移動がもたらす生態系のカオス

第4章 世界は食料雑貨商—パンも水も

第5章 有害物質の輸出先は途上国

第6章 二酸化炭素「排出権取引」の功罪

第㈼部 二十一世紀の地球環境ガバナンス

第7章 WTOをグリーンにする

第8章 国際金融構造を透明にする

第9章 地球環境ガバナンスを強化する

第10章 地球のためのパートナーシップ

原 注

監訳者あとがき


日本語版の読者に寄せて    

 本書の英語版の最後の仕上げをしていた一九九九年一二月、数万の人々がシアトル市街に集まり、世界規模の自由貿易をいっそう推進するためのWTO(世界貿易機関)閣僚会議の新ラウンドの計画に抗議していた。抗議参加者が懸念する大きな問題の一つが、地球の生態学的安定に及ぼすWTO協定の影響、広く言えばグローバリゼーションの影響だった。その九カ月後、日本語版の仕上げに入っているいま、グローバリゼーションに反対する人々が再び結集している。今回の場所は、世界銀行とIMF(国際通貨基金)の国際会議が開かれるプラハである。こうした抗議行動は着実に弾みをつけており、そのことからもわかるようにグローバリゼーションは、私たちの時代に極めて特徴的な問題であると同時に、大いに論争を引き起こすものになっている。

 なお、本書の内容については原書が完成してから細かい点でいくつかの変更があった。たとえばシアトルでWTO交渉が一時的に挫折したために、第二章で述べたWTO林産物協定(林産物の関税の段階的撤廃)など、論争の余地があるいくつかの展開は中止になった。同時に、本書に予定として示した多くのイベントや会議は、すでに行われている。アースデー二〇〇〇、国連にNGOを集めて開かれた二〇〇〇年五月の「ミレニアム・フォーラム」、そしてその後の国連ミレニアム総会などである。ミレニアム総会には、新たなミレニアムの国連の役割について方針を立てるために、およそ一〇〇人の国家元首が集まった。

 グローバリゼーションが政治議題として浮上し、この一年の間に事態は急速に進展した。だが本書全体のメッセージは、最初に原書が印刷に回されたときから変わっていない。「物資(農産物からコンピュータまで)」、「資金」、「生物種」、「汚染」の国境を越えた移動などの急増をグローバリゼーションと定義すると、そのことによって地球の生態学的安定には、かつてないほど無理な負担がかかっている。林業、採鉱、石油開発など、自然資源の売買やその部門への投資が激増すると、世界の森林、山、水をはじめとする繊細な生態系の安定が脅威にさらされる。農業のグローバリゼーションは、いまや遠く離れた大陸の農業者との直接競争のただなかに置かれた世界中の数百万という小規模農家の生き残りを危うくする。また、国際貿易は、有害廃棄物や有害化学物質など、有害な産物や技術を世界中にまき散らす可能性がある。

 本書では、これらの問題と取り組む最善の方法は、グローバリゼーションを、二十一世紀への懸念を募らせる方向にではなく、持続可能性に展望をもたらしてくれるように方向づけていくことだと主張している。すでに人々は新たなITを使って、強力な国際的連携を実現しつつある。その一例が、グローバリゼーションへの市民の不安が噴出した昨年一二月のシアトルのWTO閣僚会議における抗議行動だった。しかし、一方で通商と投資は、風力発電から有機農業まで、環境的に有益な生産物と技術の普及に貢献しているのも事実なのである。

 世界経済を環境的に有害な活動ではなく持続可能性の高い活動にするためには、多面的な戦略が必要である。国際経済機関は、自らのプログラムが環境に及ぼす影響について、さらに注意を払わなければならない。予防原則などの環境に関する基本的なルールをWTOや他の組織体の規則に組み込んだり、世界銀行やIMFの融資プログラムに環境問題をより最適に組み合わせたりする、といったことも考えられる。

 今日の経済成長を推し進めてきた原動力に押しつぶされない、より強力な国際環境基盤も必要だろう。国際的な環境保護条約の数は増えているが、あいまいな義務と責任と実施によって、その効力が弱められている場合があまりに多い。地球環境ガバナンスを強化するために、国連環境計画(UNEP)をWTOと同格の世界環境機関にしようとの提案に支持が集まってきている。

 環境の持続可能性のために、ITの力も活用されるべきである。Eメールやインターネットで能力を得た環境保護活動家たちはすでに、強力な各種の国際ネットワークをつくり上げている。いくつかの進歩的な企業も、環境管理基準やその他の手段を採用することによって、環境的に持続可能な世界経済への道筋を示すのに寄与している。また活動家グループ、実業界、国際機関の間で、革新的なパートナーシップが形づくられつつある。

 だが、これらの有望な兆候があるにもかかわらず、世界経済はかつてない規模で環境破壊を引き起こし続けている。新たなミレニアムの始まりを迎えて、地球の気温は上昇し、森林面積は縮小しているのが現実である。生物種は、六五〇〇万年前に恐竜が姿を消して以来なかったペースで絶滅しつつあり、地下水位は世界各地で低下している。これらの傾向を二十一世紀の初期段階で良い方向へ転換するためには、経済と政治との国際的構造のなかに「環境保護」を組み込む必要があるだろう。その仕事に着手すべき時は来ているのである。

  二〇〇〇年九月二十日
ワールドウォッチ研究所 首席副所長 ヒラリー・フレンチ 


第一章 グローバリゼーションの光と影

 一九九九年十一月末、世界一三五カ国の通商担当相がシアトルに集まって、新ラウンドの世界貿易交渉をスタートした。だが、ことは予定通りには運ばなかったのである。世界貿易機関(WTO)総会に参加する各国代表は、世界各地から集まった数万人のデモ隊に迎えられ、代表は大規模なデモ行進で会議場に入ることができず、交渉開始は遅れた。一握りほどの人たちがこの機に乗じて手当たりしだいの暴力行為に走り、警察が催涙ガスをまき、デモ隊めがけてゴム弾を発射したので、残念ながら暴力を伴う騒動に発展した。その週の終わりには数百名のデモ参加者が、主に公道の往来妨害などの微罪で逮捕された。だが、各国代表は形式的な公式声明にこぎつけることもできず、大慌てで飛行機に乗り込んだため、会議自体も無様なものとなった。

 すぐに「シアトルの闘い」と呼ばれるようになったこの出来事は、重要な転換点だったのかもしれない。「今週シアトルで展開された、ショーウィンドーのガラスが割られ催涙ガスが鎮圧に使用されるという騒動からなにか明確なメッセージが伝わってくるとすれば、それは自由貿易に関する議論の条件が変わったということだ」と『ワシントン・ポスト』紙は報じた。

「それはもはや貿易に関する議論などではまったくなく、グローバリゼーションに関する議論なのである。グローバリゼーションとは、雇用や所得といった伝統的な経済要因のみならず、人々が口にする食料、吸い込む空気……人々が暮らす社会的・文化的環境にも影響するプロセスなのだということに、いまでは多くの人が気づいている」

 デモ参加者の大きな関心事の一つが、WTOとグローバル化の進展が環境にどのような影響をおよぼすかという問題だった。

 シアトル会議をめぐる騒動から明らかになったように、「グローバリゼーション」が議論の中心になっているのである。対立の一因は、この「グローバリゼーションという言葉」が人によって非常に違った意味を持っていることにある。

 ある人々にとっては、国際的企業の発展と同義語であり、企業が国境を越え、国家への忠誠を超えて、その広範囲な活動をさらに拡大させていくことを意味する。またある人々にとっては、マスコミュニケーションやインターネットに促されて文化的・社会的統合が拡大していくことを意味する。また、環境汚染、微生物、難民をはじめとして、さまざまな集合が国境を越えて拡散していくことを意味することもある。

 本書で用いる「グローバリゼーション」という言葉は、貿易、投資、交通、コンピュータ・ネットワーク、越境する環境汚染を含め、右に述べたすべての意味を含めた広範囲な社会的変化の過程を指す(表1—1参照)。本書では、このような現象が複合して、地球の自然系に、全体としてどのような影響を与えるかを考える。

 今日の統合された世界は、人間の祖先が初めてアフリカを出て、ユーラシア大陸を経て移住し始めた一〇〇万年前の流れの結果なのである。しかしながら、いくつかの大陸に分かれて別々に暮らしていた人々が接触を持つようになったのは、一五〇〇年代にヨーロッパで起こった探検時代から後のことである。十九世紀末になると蒸気機関を動力源とする汽船と鉄道が登場して、国際的な通商と交流は飛躍的に拡大した。二十世紀前半は二度の世界大戦と大恐慌でグローバリゼーションが大きく遅れた。しかし、後半になると通商が回復し、国際航空路線の拡大とパーソナル・コンピュータの普及が国と国、文化と文化のつながりを一変させて、大変な勢いでグローバリゼーションが展開することになった。

 第二次世界大戦以降、貿易は一貫して世界経済の成長を上回る勢いで拡大してきた。世界経済は一九五〇年の六兆七〇〇〇億ドルから九八年の四一兆六〇〇〇億ドルへと、六倍に成長した。だが同時期の輸出額は一七倍に増え、九八年には五兆四〇〇〇億ドルに達している(図1—1参照)。商品[訳注:経済学における財とサービスのうち後者]の輸出額は一九五〇年は世界総生産の五%に過ぎなかったが、九八年には一三%に増加した。

 近年は多国籍企業による国際投資も爆発的に増えている。一九八〇年代、海外直接投資は貿易額の二倍の早さで増加し、一九七〇年から九八年までに、四四〇億ドルから六四四〇億ドルへと一五倍に増えた。多国籍企業の数も急増し、一九七〇年にはわずか七〇〇〇社だったのが、九八年には五万三〇〇〇社を超えた。いまや、海外に投資しているのは企業だけではない。アメリカでは約四四〇〇万世帯が投資信託になにがしかの預金を持っている。そのような家庭は一九八〇年には四六〇万世帯しかなかった。彼らの預金は、続々と海外に投資されている。アメリカで設定された国際的投資信託の資産は、一九八六年のわずか一六〇億ドルから、九六年末の三二一〇億ドルに増加した。

 近年の商業のグローバリゼーションは、環境問題を国際化することになった。木材や魚類などの自然資源の貿易は急増している。チーク材のコーヒーテーブルやディナーの食卓にのぼるサーモンなど、日常生活のありふれた自然産品が、地球の裏側に住む人々の暮らしや生態系に影響を与えうる。そして国際投資は、何百何千万人という人々に(しばしば無意識ではあれ)、地球上のはるか遠くの環境を左右する影響力を与えているのである。

 かつては地理的境界によって生息範囲が限られていた生物種や微生物が、貿易や人々の往来に伴って自由に移動するようになって、生物種の混合もいまだかつてない規模で展開している。また、風、海流、降雨、河川によって、さまざまな汚染物質がその発生源から数百キロ、ときには数千キロも離れた場所まで運ばれる。たとえば北極地方の雪や食用の小さな果実から魚やシロクマに至るまで、イヌイットの人々の食物連鎖全体にDDTやPCBが見つかっている。オゾン層の破壊、気候変動、海洋汚染などは、それ以上の規模で全世界の人々を脅かしているのである。

 第二次世界大戦以降の未曾有の経済発展は、物資の消費量の爆発的な増加をもたらした。世界の木材消費量は一九五〇年から二倍以上に増え、紙の使用量は六倍、魚の消費量は五倍、水と穀物の消費量は三倍、鋼鉄の使用量と化石燃料の燃焼量は四倍に増加した。また世界の人口も爆発的に増えた。地球上に住む人間の数は一九五〇年の二五億から一九九九年の六〇億へと、二倍以上に増えている。

 このような動向が相まって、世界経済は地球の生態系を極限まで圧迫し始めた。一九九八年、地球温暖化の主要な原因の一つである炭素排出量がピークに近づき(図1—2参照)、大気中の二酸化炭素濃度は再び記録的なレベルに達した。この六五〇〇万年間で最大数の生物種が地上から姿を消しており、「私たちは種の大量絶滅の時代に突入した」、と生物学者は警告している。国際自然保護連合の調査によると、世界の哺乳動物種の推定四分の一、植物種のおよそ一三%が絶滅の危機にある。世界の主要な漁場は壊滅寸前であり、水不足と土壌の劣化は、この地球上の六〇億を超える人間の食糧生産の持続可能性を危ういものにしている。

 経済と生態系のグローバルな性格は、国と国とのあいだに「環境的空間」の交換を生じさせる。メキシコのサラパにある持続可能性研究センターのマティス・ワッカーネイゲルが率いる研究チームは、彼らが「エコロジカル・フットプリント」と呼ぶものを五二か国についてはじき出した。このエコロジカル・フットプリントとは、一つの国とその国の人口が使用する生物学的な生産が可能な土地の面積を指す[訳注:輸入品についてもその輸入先での生産に要した面積を含む]。全五二か国を合計すると、世界はすでに地球の生態学的手段を超えた暮らしをしていることがわかる。ところが、自然資源が乏しいか、あるいは消費パターンが浪費的か、あるいはその両方のために、他の国にくらべてその傾向が著しい国がある(表1—2参照)。いわば環境赤字の国は黒字の国から自然資源を輸入している[訳注:本来の国土における生物学的な生産が可能な一人当たりの土地面積をエコロジカル・キャパシティーとしている。この数値からエコロジカル・フットプリントを引いて、マイナスの数字になれば環境赤字としている]。これは、ほとんどの人が気づいていないグローバリゼーションの一側面だ。

 環境への関心の高まりとともに、環境問題は国際的な政治協議の重要な議題になりつつある。シアトルのWTO会議は、環境問題を無視した国際経済交渉は成功しないことを示した。だが国際環境政治は、ますます緊張をはらんできている。現在、EU(欧州連合)とアメリカは地球の気候変動から遺伝子操作生物に至るまでの、さまざまな問題で対立しており、先進国間でも意見が異なることが多い。また、世界経済の文脈でこれらの問題にどう対処するか、地球の環境破壊を食い止めるために責任をどう分担させるかをめぐって、貧しい国と豊かな国が対立し、南北関係のなかで環境問題が激化している。

 このように、グローバリゼーションはさまざまな側面を持って、伝統的な政治支配構造に真っ向から挑戦状を突き付けている。一国の政府は、大気や河川や世界貿易を通じて越境する環境問題の管理には適していない。一方、国際的な環境管理体制はまだ生まれて間もなく、各国政府が頼る国際的な条約や機関の大部分は拘束力や機能が弱すぎて、問題に効果的に対処する力がない。各国はWTOや国際通貨基金のような経済機関にますます大きな力を与えつつあるが、デモ参加者や公益を尊重するグループの必死の努力にもかかわらず、このような機関はいまだに環境問題を後回しにしがちである。

 グローバリゼーションによって国民国家(ネーション・ステート)は地盤を失いつつあるが、一方で別の役者が前面に出てきている。とくに国際的企業やNGOの動きがめざましい。新しい情報技術によって国際的ネットワークが可能になり、活動家団体、企業、国際機関がまったく新しい連携を結ぶようになっているのである。

 だが、経済と環境のグローバリゼーションがますます進展するなかで、依然として政治は大部分が国と地方レベルにとどまっている。ハーバード大学のダニー・ロドリク教授は、次のように述べている。「市場は、それが社会的・政治的制度内に組み込まれている限りにおいてのみ、持続可能なのである……その社会的・政治的制度で、グローバルなレベルで存在しているものは現実には一つもない—これは言い古されたことだが、事実である」。

 新たなミレニアムに入ったいま、世界経済と、それが依拠するところの自然界は非常に危うい状態にあり、世界的な不安定の時代が目前に迫っているのではないかという不安を抱かせられる。二十世紀、世界経済は地球をぎりぎりのところまで酷使してきた。いまこそ国際的な管理構造を構築し、二十一世紀の世界経済を、生命そのものを支える自然のシステムを破壊することなく、よりよい未来を求める人々の願いに応えられるものにしなければならない。