Cover Story
グローバライゼーションで手づくりチーズに一大危機
E・クーハン・ペイク(E. Koohan Paik)
20年前、グアム島で暮らしていたとき、ヘイコという名の気のいい男が何かと私を助けてくれた。彼は廃物を拾って生計を立てており、島で一番おいしいマンゴーはどこで探せばいいかとか、一番安いタバコはどこで入手できるかをいつも知っていた。ある日の午後、彼がやってきて、ドアをたたいた。「ヘイ、クーハン!おれたちのチーズを取りに行かないか」。アメリカ海軍では常に食糧が余っており、基地売店を通さずに、集まる住民に分け与えていた。
ヘイコは私を、サンゴ質石灰石で舗装された駐車場に連れてきた。太陽があたりを焼き焦がしていた。遠くに、葉の茂った数本のココヤシの木と、台風に耐えるようにシンダーブロック[注:石炭がらを混ぜた軽量コンクリートブロック]でつくられた妙な建物が見え、そのわきに船積みコンテナが置かれていた。駆けつけた大勢の民間人がコンテナの端に賑やかに群がっていた。
バケツリレーをする消防士のように、雑役兵士たちがコンテナの中に立って、大量生産されるアメリカ製プロセスチーズの5ポンド入りの箱を次々に投げ下ろした。コンテナにぎっしり詰め込まれた乳製品の山から、彼らはレンガのような箱をひとつずつ引き抜いていく。私たちは両手を高く上げて、この恵みの分け前を獲得しようとした。これはアメリカ軍の駐留とそれにともなうあらゆるもの―B−52司令部、核弾頭貯蔵庫、そして島の3分の1の接収―を受け入れていることの報酬なのである。私はビーズや石、紙、貝殻などが貨幣として使われる例は知っているが、粗末なチーズが貨幣に使われることなど聞いたこともない。
ヘイコはタッチダウンで得点をあげたかのように、チーズの塊を高く掲げて、にこにこ笑いながら戻ってきた。
このとき以来、軍部が供給するレンガ状の5ポンドのアメリカンチーズは、私の個人的な想念の中で、植民地化のもっとも純粋な象徴として膨らんでいる。アメリカの家父長的温情主義もそこにはあるかもしれない。しかし、山ほどの缶入りハム・ソーセージや粉ミルクやプロセスチーズのようなつまらぬものと引き換えに、私たちが自分の魂を売り渡してしまったという事実は、私に不快感をもよおさせる。もし兵士たちが円盤型のEpoissesチーズとかロックフォールチーズ(強い香りのある青カビチーズ)をばらまいていたなら、善意の占領者と追従的な被占領者のあいだの不愉快な力関係は、さほど苦痛をともなうものではなかったかもしれない。
私たちに与えられたチーズが風味よりも形状を特徴としていたことには理由がある。それは保存有効期間を最大限に延ばすことをめざして製造されていた。アメリカが同盟諸国のパンかごの役目を果たしていた第二次世界大戦時に、食品生産においてもっとも重視されたのは長距離の輸送に耐えることだった。その答えは低温殺菌されたプロセスチーズだった。プロセスチーズは、ナチュラルチーズを加熱して液状にし、乳化剤と保存料を加えて成型するもので、それはまさしく長もちした。言うまでもなく、ヨーロッパ式の柔らかいチーズは、ふつう殺菌処理されていない(したがって種々のバクテリアを含む)ので、熱帯の日射はもちろんのこと、太平洋を横断する輸送に耐えることはできなかっただろう。
グロバリーゼーションが植民地化のより強力な化身として出現した今日、工業チーズが再びその黄色い頭をもたげている。歴史上2度目のチャンスを迎えたこのチーズは、全世界的な単一文化(モノカルチャー)の食品分野の現れとして燦然と輝いている。それは、少数の巨大企業が、無数の人々の味覚の楽しみを犠牲にしてでも、地球規模で生産・販売するのがもっとも容易なチーズである。
新世紀に影を投げている文化的同質性に抵抗するのは、イタリア式のお祭り騒ぎに任せよう。昨年5月に、シチリア島の町ラグーザ・イブラで伝統的チーズづくりの祝典「チーズアート2000」が開かれた。アニスの香りに満ちた山腹に層をなしてしがみついているこの非常に美しい村が、キプロス、イタリア、フランス、スペイン、エジプト、イスラエル、トルコ、ギリシャなどからのチーズの珍品の博覧会になった。ラグーザの山頂に向かってジグザグに登る道のいたる所に珍しいチーズが展示され、チーズの多様性と人間の消化力の限界を試すようだった。肥沃な渓谷を見下ろす位置にあるラグーザ大学は、風味の化学から牧場の生態系、消滅したチーズから遺伝子操作を加えたゴーダチーズ(正確にはゴーダチーズのバクテリア)まで、あらゆるテーマに関する連続講義を開催した。修道院や、古代の石造りのワイン貯蔵所、市内のもっとも大勢の人の集まるタペストリーの飾られたレストランで、試食会が開かれた。さらに、シチリア島で17世紀に行われていた「Palio di Maiorchino」と呼ばれるゲームも催された。これは町の曲がりくねった小道を、22ポンドの円盤型のMaiorchinoチーズをころがしながら駆け抜けるものである。
このフェスティバルを組織したのは、イタリアの伝統的チーズを守るための活動をする団体、「Consorzio Ricerca Filiera Lattiero-Casearia」である。育種家、農耕学者、飼料専門家、微生物学者、牛乳分析専門家、芳香研究者など、60人の専門家で構成される同団体は、2つの目標をもつ。その1つは、DOP(検定付き原産地表示)チーズの性質を調べて、それらを「国民の遺産」に認定し、世界的な加工規制による標準化から守ることである。もう1つの目標は、チーズづくりの経済的、享楽的、歴史的含意について消費者を教育することである。
アメリカでは、世界の乳製品生産の合理化がもたらすもっとも差し迫った脅威は、国産チーズと輸入チーズの両方について低温殺菌を義務づけられる可能性があることである。このことは、パルメザン・レッジャーノチーズ、ブリーチーズ、グリュイエールチーズのような生乳チーズがアメリカから姿を消すことを意味する。
低温殺菌―ほぼすべての微生物を殺すことを目的とする牛乳の加熱処理―は、風味ときめをよくするための無限の可能性を阻害する。ワインの場合と同様、チーズ職人は、温度、タイミング、熟成を通してバクテリアを巧みに操作することが質を決定づけると確信している。彼らに言わせれば、バクテリアなしには、特定のチーズは「まるでビールのような」味気ないものになってしまう。アメリカ人(彼らはかつてカリフォルニア州のすべてのワインに低温殺菌を義務づけたことがある)は殺菌したほうが安全と考える傾向があるが、低温殺菌の義務づけの動きに農場チーズ生産者たちは激しく反発している。
ヨーロッパでは、多くの伝統的チーズはすでに失われてしまった。その理由は、農村生産者 が新しい衛生基準を満たすことができなかったか、あるいは輸送可能性、保存有効期間、迅速な生産が最重要視される世界市場で生チーズが競争できなかったからである。たとえば、イギリスの公衆衛生当局は低温殺菌されていないチーズに事実上の宣戦布告をした。生乳ブルーチーズの「ラナーク・ブルー」を生産しているハンフリー・エリントンは、1990年代初めにこのチーズが市場から締め出されたため、廃業を余儀なくされた。裁判に20万ポンド(約29万2000ドル)と13か月間を費やして、ようやくエリントンはラナーク・ブルーが危険ではないことを証明した。生活の糧を失ったものの、彼は行政の圧力におとなしく屈伏した他の多くのチーズ生産者には同調しないことを選んだのである。ヨーロッパの多くの人々はこの圧力を、バクテリアに対する官僚の魔女狩りと評し、自分たちの食の遺産を破壊するものだと批判した。
共に「チーズアート」のゲストに招かれていたイタリア人ジャーナリスト、エリオ・ラガツォーニと私がカタニア空港に降り立つと、ミニバンが迎えにきていた。くしゃくしゃの黒いスーツに似合わぬ威厳をもって、ラガツォーニはにっこり笑い、バンに乗り込むや、「ジャーナリズムは私のプロフェッション(職業)、チーズは私のパッション(情熱)!」と言った。
ラグーザに向かって南下する長いドライブが始まった。カタニアのわびしい郊外を抜けると、イチジクやオリーブ、ブドウ、イナゴマメなどの果樹園が延々と広がる。運転手は田園の単調さを破るため、カセットテープのスイッチを入れた。シチリア出身のフランク・シナトラがマンハッタンのすばらしさを歌っている。美しい田舎の風景のなかを疾駆しながら「私も住みたい!ニューヨーク!ニューヨーク!」という歌声を聴いていたら、ラガツォーニが突然しゃべり始めた。フランス語(私たちの共通の言語だった)で、大きな声で彼は自分の故郷の地域で何世紀ものあいだ作られていたCastelmagnoチーズのことを話した。
「それは本来、熟成させて作られる青いチーズのはずなんだ。だが、いまは貿易競争が激しくなっているので、生産者はもう、チーズが青くなるまで、ゆっくり熟成するのを待っていられなくなった。その結果、人々はそれがブルーチーズだということを忘れてしまった。彼らはホワイトチーズだと思っている。それを正しい方法で作った生産者が1人だけいる。ところが、彼がそのチーズを市場に出しても、だれも青いCastelmagnoには手を出さないんだ」。彼は溜息をついた。「シチリアの名産のブラッドオレンジにも同じことが起こった。オレンジ色のオレンジがヨーロッパ市場に浸透してしまい、シチリアの住民さえ自分たちの特産品を買おうとしなくなっている」
会議でも、同様の所見が際限なく繰り返された。すなわち、消費者の標準の低下である。チーズ生産者、加工業者、小売業者,化学者、人類学者、聖職者など大勢の人々が、もっとも侵略的なタイプの植民地化と思われるもの―つまり感覚の植民地化―に抵抗するために参集した。もっとも声高な参加者の1人に、「スロー・フード」の活動家、ピエロ・サルドーがいた。スロー・フードは食の伝統を守ることをめざす組織で、イタリアに本拠を置いている。彼は、この種の植民地化をとくに巧妙なものにするのは、消費者の選択という「幻想」だと論じた。そして彼は、スロー・フードが1998年にトリノで開いた国際地方料理フェスティバル「Salone del Gusto」が12万6000人もの参加を得て大成功を収めたという事実は、いまなお、伝統的食品を小規模生産者から買いたいと思っている消費者が大勢いることを証明するものだと指摘した。
もちろん、工業食品が何の役にも立たないというわけではない。サルドーは、戦後の飢えたイタリアを救ったのはアメリカの加工食品だったことを思い起こさせた。しかし今日、豊かな農業と熟練工をもつ国においては、保存がきくことを第一の売り物にする食品はもはや意味をなさない。
コーネル大学の若い博士で、Consorzioの乳製品部の研究コーディネーター、アナリタ・マヨールは、19世紀の優美な大邸宅を利用したこの団体のすばらしい施設の見学に私を案内してくれた。2階のオフィスから、なだらかに起伏する草原が見渡せる。1階は近代的な風味研究所になっており、ビーカーやシンク、コンピュータがたくさん並んでいる。むき出しの石壁が透明なプレキシグラスのシートでびっしり覆われ、管理された汚染のない環境が確保されている。
Consorzioの使命は、チーズのDOP(遺産)資格を証明するための科学的手法を確立することである。DOPチーズは、製造方法、使用される道具、牛乳の質、そして乳牛の系統と牧草の品種を調べるための芳香分析によって規定される。資格要件を満たさないチーズは、DOPチーズとして法的保護を受けることはできない。基準に達したチーズは、その認証を受けることによって消滅を免れることができる。
DOP資格に要求される道具と技法は新しい衛生規則に抵触することが多く、このことがConsorzioにとって重大な挑戦になっている。「政府は生乳の使用をますます厳しく規制しているし、手袋をはめなくてはいけない、木の道具を使ってはいけない、わらもつかってはいけない、というのです」とマヨールは言った。「木や手、銅器、生乳にいる微小植物が、伝統的チーズ、DOPチーズには必要なんです」。アメリカ人から見ると、湿った木に潜むバクテリアが、伝統的なレシピに不可欠の要素になりうるという考えは受け入れにくいだろう。
ピューリタン的な無菌の機能主義者にとって同様にばかばかしいように見えるのは、「チーズアート」のガイド付き試食会である。着飾った人々がダイニングルームの席について、さまざまな言語でしゃべりまくっている光景を想像してもらいたい。給仕係を務めるのはConsorzioの若い科学者たち(マヨールもその1人)である。彼らは小走りに歩き回りながら、アイロンのかかった麻のテーブルクロスの上のグラスにワインを注ぎ足し、銀の皿を取り替え、次のチーズのコースを運んでくる。部屋の端に立った試食ガイドが歌うような調子で―もちろんイタリア語で―話し始めた。「チーズをお取り下さい」。隣の席の人が私の方に身をかがめて通訳してくれる。「まず、チーズをじっくり見てください。どんな色か。きめはどうか。どんな匂いがするか」。全員、一片のチーズを鼻に近づける。「このチーズの原料の乳を生み出した動物が食べた草の匂いがわかりますか?ハシバミの実やクリの実のような香りがわかりますか?」客たちは一斉にうなづく。
「では、いよいよこのチーズを味わいましょう」。隣のテーブルの男は、チーズを口に入れ、空中に浮かぶ目に見えない説明書を読んでいるかのように神経を集中して、もぐもぐ噛んでいる。「舌に感じる風味は、嗅覚の期待を満たすでしょうか。味と香りのあいだに調和が感じられますか?これは十分に調和のとれたチーズでしょうか?」
ここで問題にされているチーズは、羊乳から作られる唯一のstring cheeseで、「低脂肪チーズの宝石」と呼ばれるVastedda del Beliceである。甘味のある未熟なチーズで、新鮮なうちに食べなくてはならず、したがって生産地の近辺でなくては入手できない。「もし風味が匂いとしっくり合っているなら、それはよく調和のとれたチーズです」とガイドは続けた。
馬鹿げているように思えたが、まさにこのとき、私はそれまでメディアが刺激するもっと明瞭な感覚―つまり視覚と聴覚―を優先して、嗅覚をおろそかにするようにいかに条件づけられていたかを思い知らされたのだった。匂いの殿堂であるはずの場所―化粧品売り場でなく食品売り場のこと―でさえ、匂いのない空間になっており、プラスチック、アルミニウム、ボール紙、ガラスなど、匂いを封じ込めるあらゆる材料に包装された食品を展示している。もしスーパーマーケットに何かの匂いが漂っているとしたら、それは「嗅覚版バックグラウンド・ミュージック」、つまり意識下で支出を促すために空中に放出される人工香料である。
嗅覚は、生存に必要な識別を行うためのもっとも重要な手段のひとつとして進化した。たとえば、食用に適した食物、共存していける仲間、差し迫った危険などを嗅ぎ分ける必要があった。スーパーマーケットから匂いが排除されたため、私たちは基礎的な防衛機能を奪い去られてしまった。ツメを切られたネコや、翼をもがれた鳥のように。その結果、私たちは主に視覚に基づいて購入を決定する。このため、消費者は、けばけばしいシリアルの箱や、何週間も赤いままで傷まない遺伝子組み換えトマトなどで購入欲をそそる包装デザイナーや遺伝子工学者の意のままになってしまう。
ラグーザ市内の指定されたリストランテ・イル・ドゥオーモで、5代続いたチーズ職人のカルロ・フィオーリは、5つの異なるリコッタ(イタリア産カテージチーズの一種)の歴史と特徴を説明する。まず、バッファロー・リコッタのシトロンハニー添え、羊乳リコッタのオレンジマーマレード添え、山羊乳リコッタのベルガモットハニー添え、ブロッチョ・リコッタ(羊乳と山羊乳を混合したコルシカ産チーズ)のウイキョウハニー添え、そして、リコッタ・アル・フォルノのシトロンピールマーマレード添えである。最後のリコッタ・アル・フォルノは硬質の燻製チーズだが、このサンプルを見て、彼は明らかに困惑して顔をこわばらせた。ほんとうに、彼が言った通り、このサンプルは古靴のように堅かった。
フィオーリは、燻製室から出したばかりの本物のリコッタ・アル・フォルノは入手できなかったのだと説明した。これはプラスチックで真空包装されていたもので、この処理法は酸素と液体を除去してしまうので、チーズが堅くなってしまう。チーズ生産者たちは遠隔地の市場に自分の生産物を出荷するために品質と伝統を危険にさらしている、と彼は嘆く。こんな行動は、ごく最近まで見られなかったという。
「生産者は5年ほど前から真空包装をするようになりました。東京、ニューヨーク、ブエノスアイレスなどで、われわれのチーズへの需要が突然急増したためです。この種のチーズは産地から30キロメートル以内でしか売られていなかったのですが、いま突然、世界中でこれらのチーズが求められています」。フィオーリは、真空包装という世界的衛生標準が生産者を自滅させると懸念する。「真空包装はバクテリアの繁殖を防ぐと考えられていますが、それは誤りです。多くのバクテリアは酸素を必要とせず、生存し続けてチーズを変質させます」と彼は言い、こんな比喩を披露した。「ネコを洗おうとして、もし洗濯機に入れたら、それを殺すことになります」。
彼は、昨年クレナモ(イタリア北西部の都市)で開かれた乳製品生産者会議で報告された全国調査の結果を紹介した。それによると、アメリカ人はイタリア人の味覚を「洗練されている」と考えているようだが、実際はイタリアにおけるもっとも人気のある5種類のチーズは、アメリカ人の好みと驚くほど一致していた。それはパルメザン・レッジャーノ(「パスタにかけるととてもおいしいから」)、ペコリーノ・ロマノ(「おいしくて、しかもパルメザンより安いから」)、モッツァレッラ(「低脂肪食品だから」)、ゴルゴンゾラ(「1000年の歴史をもつから」)、そして、もうひとつ……。彼は、劇的な効果を高めるためにひと息ついた。
「5番目はなんとフィラデルフィア」と彼は苦々しそうに言った。これはクラフト・フーズ社が製造・販売しているクリームチーズである。シチリアをローマに引き渡すことを拒否したカルタゴ人のように熱をこめ、声を震わせて、彼はこの侵略チーズを売り込むテレビコマーシャルのことを話した。このコマーシャルでは、ひとりの老人が幼い男の子にイタリアの伝統的な上等のformaggiチーズを手渡そうとする。男の子はそれを拒み、そこにある品のなかで一番魅力的に見えるチーズ――フィラデルフィア・クリームチーズ――を欲しがる。フィオーリは、イタリア人は自分たちの遺産に背を向けるように洗脳されつつあるのだと考えている。
カルロ・フィオーリの同業者たちにとっての 悩みの種、クラフト・フーズ社も、ヨーロッパのチーズ評論家が詰めかけたホールで、自分の主張を述べることになっていた。活発で才気に富むジェーン・リーランドが、自分の会社―タバコ複合企業フィリップ・モリスの子会社で、スプレー・チーズの発明者―が生み出した凡俗な品質について弁明するのはさぞ見ものだろう。
円盤型のペコリーノ(羊乳から作るチーズ)のようにしおらしく、ミズ・リーランドはまず、何世紀も前にチーズ製法を確立した国でアメリカ人として講義する資格は自分にはなさそうだと認めた。このため、彼女は講義のテーマを、アメリカのチーズがイタリアのチーズとどう異なるか、その違いはどこからくるか、ということに絞りたいと述べた。
オーバーヘッド・プロジェクターに映し出されたイラストがそのすべてを物語っていた。「スター・ウォーズ」対セーフウェー(アメリカ最大のスパーマーケットチェーン)のようなコンピュータ・グラフィックが、宇宙からの地球の画像を描き出すが、そこに40個ほどの特大の加工食品ロゴの星座が現れて、地球を陰らせる。まったくのところ、地球上には、ポスト、オスカー・マイヤー、マクスウェル・ハウスのような「メガブランド」(リーランドは年間売上高が10億ドルを超えるブランドと定義している)から逃れられる場所などどこにもないのだ。彼女は、アメリカ人がパルメザンチーズと呼んでいる、あのお馴染みのかすかに光る緑色の円筒型容器を持ち上げた。「これはまさしく、便利さを求める消費者の要請とテクノロジーによって誕生した製品です。イタリアでは、チーズを買ってきて、自分ですりおろすのが好まれていることは私も承知しています。でも、アメリカ人はすでにすりおろされたチーズ、缶を振ればそれが出てくるという製品を切実に欲したのです」。彼女はスパゲッティの皿がそこにあるかのように、その容器を振って見せた。「わが社では、この乾いた粉チーズは、固形チーズのざっと10倍の売り上げをあげています」。しかし、彼女は、クラフト社がこの粉パルメザンの広告に何百万ドルも費やしたことには触れなかったし、固形チーズについてはほとんど何も言わなかった。
ミズ・リーランドは、パルメザン製品の成功の背後には、クラフト社が開発したコスト節減型の「特許熟成技術」があったことも詳しく述べた。通常のアメリカン・パルメザンは熟成に12か月を要する。この熟成時間を大幅に短縮することによって、クラフトの秘密の「レシピ」は、それまで緩慢な自然の熟成を待つのに必要だった倉庫スペースのコストの莫大な節減をもたらした。
ミズ・リーランドの講演の大部分は、ジェームズ・L・クラフトが加工チーズの特許を取得した1915年にさかのぼるクラフト・フーズ社の歴史に割かれた。彼女は、消費者を喜ばせるための終わりのない探求について話した。クラフトの信念によると、チーズが加工されるようになる前には、消費者は不満をもっていた。チーズに外皮があり、小売段階で無駄が出ることが多く、乾燥し、カビが生え、また風味やきめが不均質だった。そこで、クラフトがプロセスチーズを発明すると、消費者は喜んだ。そして、プロセスチーズはプロセスチーズ入り食品を生み、それがプロセスチーズ・スプレッドを生んだ。新しい製品が生まれるたびに、そこに含まれる本物のチーズの割合は小さくなっていった。今日、クラフトは北アメリカのチーズ市場の40%を占有しており、その半分はプロセスチーズである。
ミズ・リーランドは簡潔にこうまとめた。「クラフトのような会社は、できるだけたくさんのチーズを生産し、できるだけ多くの消費者に供給し、できるだけ多くの収益をあげることをめざします。実際、品質だけに動機づけられているのではありません。といっても、わが社のチーズの品質が悪いというわけではありません。断じてそういう意味ではありません。でも確かに、わが社のチーズは、ご当地のチーズに見受けられるように品質だけを追求しているわけではありません。より洗練された味の生産物によって、われわれの市場も進化していくかもしれません。先のことはまだ何とも言えません」。
いや、ちょっと待て、と私は心の中でつぶやいた。彼女は、クラフト社が、アメリカ国内で売られるすべてのチーズに低温殺菌「もしくはそれに相当する処理」を義務づけることを強く求めている全米チーズ協会のもっとも有力なメンバーだということを知らないのだろうか。生乳が禁止もしくは規制され、しかも主要な目標が量と売上高であるときには、「洗練された」チーズづくりは起こりえない、ということに彼女は気がつかないのだろうか。教育的な修飾とリーランドのもつ化学博士号にもかかわらず、私たちがクラフトの手の込んだ宣伝ショーを見せられたことは、火を見るよりも明らかであった。
その後の休憩で、参加者たちはクラフト社製のプロセスチーズ、チーズ入り食品、チーズスプレッドの試食を勧められた。「チーズアート2000」では通常、休憩時間には詰め物をしたナス、ペッパーステーキ、ラム酒入り菓子などイタリアの美味な食べ物が盛られた大皿が用意されていたが、ここではクラッカーの上に乗ったオレンジ色の粘土のようなキューブが何百も並べられた皿と、数缶のチーズ・ウィズ(チーズ入り食品)が供された。珍しそうに匂いを嗅ぎ、ためらいがちに一口かじった人々は、「これはチーズではない!」と怒ったり、「うーん、マヨネーズみたいな味だ」とうなったり、さまざまな反応を示した。
私はチーズ・ウィズは遠慮し、代わりにデンマークの食物史家Rie Bobergとの会話を楽しんだ。この背の高いスカンジナビア人は、アメリカと同じようにデンマークでも、生乳チーズを禁止する動きが急速に広がっていると教えてくれた。彼女の話によると、1950年代にデンマークは世界的なチーズ生産国になることを目標に掲げた。この国は成功を収め、今日では欧州連合(EU)の中でもっとも進んだ食品加工産業をもつ国の1つになっている。この20年間イタリアのトスカナでオリーブ油の生産に携わっているBobergは、ここで眉をひそめた。「デンマークに帰るたびに、私は人々がいったいどうして生きていけるのか不思議になってしまうの。スーパーマーケットで買うチーズには全然味がないし、鶏卵さえ低温殺菌されていて、箱入りで売られているのよ」。
ヨーロッパでは、政策決定レベルでの低温殺菌問題が、あのうんざりする民族主義的南北問題の様相を呈していることが、私にもすぐ呑み込めた。標準化がヨーロッパ大陸から、地域的差異を際立たせる機会を奪い去るという問題に目もくれず、各国政府は互いに反目し、2つの頑強な陣営を形成した。イギリス、ドイツ、デンマークは生乳を衛生への脅威とみなし、他方、スペイン、フランス、ギリシャは低温殺菌は食の遺産を侵害するものと考えている。たとえば、聞くところによると、イタリア政府は最近、プロスシゥット(イタリアの塩漬けハム)を保存する洞窟をタイル張りにするよう北欧諸国が要求してきたことに激しく反発している。世界貿易機関(WTO)の規制委員会が単一の標準を課すことの責任を負う限り、一歩も引かない南北間のにらみ合いが続くだろう。この行き詰まりは非常に根深いものがあるので、低温殺菌を要求する強大な全米チーズ協会からの圧力でさえ、まだあまりインパクトをもたらしていない。
全米チーズ協会は20世紀初めに、アメリカの消費者に信頼しうる生産物情報を提供する目的で創設された。現在、その会員は国内のすべてのチーズのほぼ80%を生産しており、産業至上命令に従って活動している。つまり、このことは、いくつかの大規模な酪農場から搬入される膨大な量の牛乳を数日間貯蔵タンクに保存すること、途方もない種類の商品の機械化された生産、全世界への輸送、そして絶え間ない拡大の追求を意味する。このように巨大な規模では、低温殺菌は単なる慣行でなく、安全を確保するために絶対に必要である。
熟成させない生乳チーズは、アメリカでは第二次世界大戦以来、禁止されている。60日間の 熟成が義務づけらており、それは病原体が死滅するのに十分な時間と考えられている。しかし昨年、アメリカ食品医薬品局(FDA)が行った研究は、生乳チーズに挿入された病原体が60日を超えても生き残ることを示した。そこで、FDAはすべての生乳チーズを市場から排除することを検討している。
アメリカの農場チーズ生産者たちは、この研究の正当性に疑問を呈している。これらの実験で行われたように、農民が牛乳の中に病原体を意図的に入れることはありえない。生乳チーズ生産者たちはこのような実験は現実離れしていると主張する。彼らは、自分たちの製造方法は工場生産と同じくらい安全、ひょっとするとそれよりも安全だと考えている。なぜなら、生産規模が小さいため、家畜を1頭ずつ管理し、搾乳を監視し、搾乳とチーズづくりのあいだ(病原体がもっとも侵入しやすいのはここである)にほとんど時間を置かないようにし、そして、衛生の維持に細心の注意を払うことが可能だからである。オレゴン州ティラムーク郡では生乳チェダーチーズが作られているが、91年間一度も事故は起きていない。他方、ロボットとコンベヤーベルトが作業の大部分を遂行する大量生産工場では、汚染された牛乳が、発見されないまま使用されるおそれが高いかもしれない。
アメリカンチーズ協会(ACS)は、会員が500人足らず―うち112人は農場生産者―の小さな組織だが、低温殺菌の義務づけはクラフトが出現する前からのアメリカの遺産を消滅させると考えている。ACSのデブラ・ディッカーソンは次のように説明する。「一般に政府規制は、少数派ではなく多数派に力を貸す。したがって、多数派である国産チーズのメーカーにとって、低温殺菌の義務づけは大いに助けになる。FDAと農務省の目標は、食品から感染する病気を防ぐことだ。この点についてはだれも反論しない。だが、問題は規制が平凡な生産物を増長させることだ」。
適正なチーズ生産をめぐる論争にもかかわらず、政策決定者を含め、チーズが実際にどうやって作られるのか、また、低温殺菌とは何なのかを知っている人はごく少ない。自分の栄養の供給源を知らず、そこから遠い場所に住み、産業流通システムから食品を買っている人々にとって、「チーズアート」の主催する農場見学は非常に有意義だった。この見学の1つは、ラグーザ地方の伝統的なcaciocavalloチーズの製造を見に行くことだった。
サルバトーレ&マサーリ・ディ・パスクワーレ夫妻は、質素だが近代的施設を備えた「マッセリア」と呼ばれる農場を所有している。ラグーザ地方の風景を特徴づける多数の農場の1つである。サルバトーレ・ディ・パスクワーレは、まるでバン・ゴッホの初期の絵の1つから抜け出てきたような様子だった。彼は所有する40頭のmodicane―この地域固有の赤毛の乳牛―を見せてくれた。あらゆる生乳チーズと同様、caciocavalloは現場の微生物を反映するものなので、ディ・パスクワーレの作るチーズは10キロメートル離れた農場で作られるものとは異なる。それはまさに、同一品種の乳牛が、わずかに異なる種類の牧草を食べているからだ。風味の微妙な違いは、生物多様性と密接に関連している。
うるさく鳴き立てるウシの群れのそばで、サルバトーレは説明を続けた。彼は毎朝、ウシから搾った約13キログラムの生乳を銅の大鍋に注ぐ。下に積まれた薪に火をつけ、牛乳を加熱する。この薪ストーブの横にハイテク高温バーナーが設置されている。最近、州政府が決定した衛生基準に従って並べ置かれているわけである。
ディ・パスクワーレは必要なレンネット(動物の胃膜から抽出する擬乳酵素)を地元の羊飼いから購入する。羊飼いは春に子羊を解体して―家畜のどの部分も無駄にしないという慣習に従って―胃の酵素を集めてcaciocavalloの製造者に売る。加熱した牛乳にレンネットを加えると、酵素の作用で牛乳が凝固し、豆腐のような凝乳(カード)の上に乳清と呼ばれる甘い液体が上がってくる。公式の統制名称による「チーズ」とは、レンネットの作用を通してミルクから分離したカードを指す。アメリカでは、ほとんどのレンネットは研究所のシャーレから作られている。
サルバトーレはひと晩かけてこのカードを漉し、長方形のレンガのように成型して、日本の「風呂」のような容器に入れる。塩水の中の塩分がチーズの表面を堅くさせ、外皮を形成させる。1か月後、チーズを容器から取り出し、もっとも通気のよい条件で熟成させるためにcaciocavalloのトレードマークであるロープで縛って吊るす。熟成に時間をかければかけるほど、殺菌処理されていない生乳の中の生きたバクテリアが風味を強くさせる。多くの人は4か月熟成させた、木の実の風味のするsemi-stagionatoを好む。8〜12か月熟成させた、より堅い、より強烈な風味のstagionatoは、すりおろしてパスタにかけると非常においしいので「農夫のパルメザン」と呼ばれる。
サルバトーレによると、caciocavallo生産者の多くはすでに廃業してしまった。拡大する世界市場を見越して法制化された新しい基準を満たすことができなかったからである。彼は基準通りに設備をタイル張りにしたり塗装するのに3000万リラ(約1万2000ドル)を費やした。また、自動的に水が消毒される貯水タンクの設置も強いられた。これに比べ、建物の脇にある昔ながらの石造りの井戸がみすぼらしく見える。
私はサルバトーレに、基準に従って改良する前には塩水処理室はどんなふうだったかを訊ねた。彼は肩をすくめ、「タイルがなかったな」と、ぼそっと言った。私は通訳に、もっと詳しく聞くよう頼んだ。「それでどうだったの?ほかには?もっと詳しく教えて下さいな」。サルバトーレは手を口にちょっと当て、「セメントの桶がなかったな」と、もぞもぞ言った。
「では、セメントの前には、チーズをどこに漬けていたのですか」と私は聞いた。使い古した樽とか、何かそのようなロマンチックで素朴な遺物を、私は想像していた。彼はあごを上げ、ようやく覚悟をきめたように、いきなり答えた。「アスベストだ」。
規制には明らかにそれなりの正当性がある。由緒正しい伝統的な手法を保存することは確かにひとつの課題だ。しかし、アスベストの塩水処理桶のような、時代遅れの産業危険物を保存することは、それとはまったく別の問題だ。
私たちが訪れたもうひとつの農場は、まさしく微生物のメッカであり、確かに閉鎖もやむをえないと思われるような施設だった。ぼろぼろに崩れた壁にはタイルが張られておらず、調理場はこぎれいだったものの、塩水処理室はありとあらゆる錆ついた骨董品―古いビン、枝形燭台、絵の額縁、手綱等々―の保存室を兼ねていた。清潔中毒者にとっての最後のとどめは、腐った木の樽で、その塩水の中には汚いしみのついた石灰石の重しで小さくなったcaciocavalliチーズがあった。
しかし、両方の農場の見学に参加していた専門的なチーズ・コンサルタント、ダフネ・ゼポスは次のようにコメントした。「私たちが見た2つの農場のうち、一方はより近代的で、他方はより伝統的でした。清潔さの違いがありましたが、実際には、大した違いはありません。高濃度の塩水はハエを寄せつけません。皆さんも気づいていたかもしれませんが、2つの農場で使用されている道具は同じように清潔で、同じように衛生を保たれているのです」。彼女はさらにこう続けた。「これらのチーズは何千年ものあいだシチリア島民の食事に欠かせない栄養源になっており、だれもそれによって病気になったりしませんでした。いま突然、こうした産業規制を課すことは、この歴史の連続性に取り返しのつかない傷をつけるものです」。
「チーズアート2000」以来の数か月間に、低温殺菌の義務づけに反対する運動はますます勢いを増した。アメリカンチーズ協会は、Oldways Preservation and Exchange Trustと共に、「チーズを選ぶ権利を守るための国際連合」に参加した。コンソルジオ・パルメザン・レッジャーノのような有力な組織を含むヨーロッパ生乳同盟には、全EU加盟国からの代表が参加している。昨年秋の記者会見で、スロー・フードは「生乳チーズ防衛宣言書」を発表した。報告に当たったのは、ポルトガルで農務省に反対して品質を守るための活動をしているアンナ・ソエイロである。
ミズ・ソエイロは立ち上がって、低温殺菌の義務づけは、すべてのチーズが常に生乳で作られているわが国にとって、文化的破壊以外の何ものでもないと激しく批判した。この多様性の時代にあって、単一の国際標準という考えはあまりに無邪気で話しにならない、と彼女は言った。均質化された世界経済の構築に向けて活用されているのとまさに同じ通信チャネルを通して、彼らはさまざまなアイデアを絶え間なく交換し、互いに協調し、調整し、常に表現の場を求めている。フィリップ・モリスのような世界企業の攻勢にもかかわらず、アフリカからヨーロッパ、アメリカまで広がる地球市民は酪農遺産を守る決意を固めている。
E・クーハン・ペイク(E. Koohan Paik)
*ライター、農業者、映画制作者として活躍。ハワイ、サンフランシスコ、イタリアに拠点をもつ。ハワイ・カウアイ島で、彼女の家族は太陽光発電を利用する農場で建材用の竹を栽培している。サンフランシスコでは、彼女は都心の学童を農家や伝統食品生産者と交流させるプログラムを監督している。目下、シチリア島の農業の感覚的な楽しさに関する本を執筆中である。
《詳細情報》
The Cheese Reporter, Madison, WI: www. cheesereporter. com, (608)246-8430
Consorzio Ricerca Filiera Lattiero-Casearia ,website: www.cheeseart.com
American Cheese Society, website: www. cheesesociety.org
"A Forced Evolution? The Codex Alimentarius Commission, Scientific Uncertainty
and the Precautionary Principle,"International Institute for Sustainable Development,www.
iisd.org
Slow Food Manifesto in Defence of Raw-Milk Cheese,
www.slowfood.com/activities/Manifesto.html www.philipmorris.com
スイスのハンス・ペーター・ロイストは、酪農品ショップを家族で経営する。彼は伝統的製法でチーズを作るが、設備は近代的だ。彼が手にしているのは、家に伝わる100年前の円盤型チーズ。写真はGreg
Mycekより。
スイスのグスタード町の郊外でチーズを作るルディ・ヴェーレン。作業は晩春に始まり、晩夏に終わる。ケ
トルの下の薪の火が発酵を助ける。工程の一部は電気を用いるが、大部分は人力で行う。写真はGreg Mycekより。
アルプスのアウスゼルベルクでハンス・ウエリは、ルディ・ヴェーレン(前ページ)と同様、晩春から晩夏までかけてチーズを作る。両人とも、作ったチーズをハンス・ペーター・ロイストのショップ(xxページ)に売っている。写真はGreg
Mycekより。
牧草地チーズ連合の創設者、ニーナ&ジョナサン・ホワイト夫妻が抱えているのはジャージー種の子牛「ベウラ」。この母牛が生む牛乳は、牧草地で乳牛を飼う小規模酪農場が伝統的な農場チーズの製造で生き残れるように支援するための同連合のプロジェクトを支えている。