ブルージーンズ
すてきなブルージーンズにもシアン化物
ブルージーンズの物語は、オートクチュールの繁栄を支えたあのバイエルンに始まる。ここはハーフパンツの原型となった「レーダーホーゼン」という、革製半ズボンの発祥の地でもある。この南ドイツの地からリーバイ・ストラウスがアメリカへ渡ったのは1847年。そして、1870年代までにはサンフランシスコで衣料雑貨店を繁盛させていた。ゴールドラッシュに沸く現地では、丈夫な作業着を求める人が多かったという。
キャンバス地が品切れになったため、ストラウスはいす張り生地を青色に染めて「リーバイスジーンズ」を作り、1本1.46ドルで販売した(この生地はフランス語でニーム産のサージを表わすserge
de Nimesで、デニムのこと)。ジーンズは今でも作業用に使われているが、普段着やおしゃれ着としても人気がある。数百ドルもする高価なものもあり、1999年にグッチの古着調ブルージーンズは3700ドルで販売された。アメリカでは平均で1人当たり7本のジーンズを持っている。
行く末
デニムなどの繊維は昔から再利用されてきた。製造元では、切れ端を集めて、細かく断裁し、ウエスや雑巾などに加工したり、新しい生地のなかに混ぜたりする。しかし、再利用率は概して低いままである。ジーンズそのものも、同じように再利用されることはある。または、繊維が擦り切れるまで長持ちをすることもあり、ハンドバッグやキルト布、ランチョンマット、鍋つかみ、ブックカバー、筆箱(鉛筆にも)、紙、断熱材といった、驚くほどさまざまな
製品に生まれ変わったりもする。ただ、多くは埋め立てごみとして捨てられるだけで、繊維には薬品や染料が染み込んでいるため、なかなか分解されない。
製 造
1本のジーンズをデザインして店頭に並べるまでに9か月もかかる。たとえば、「なんとなく青っぽい」では通用せず、デザイナーは満足できる色合いを模索しながら、製造業者と色見本を何度もやり取りするのだから、それだけの時間がかかってしまう。だが工場での作業となると、進み具合は一気に速くなる。ジーンズの多くは途上国(メキシコ、バングラデシュ、コスタリカ)で作られおり、縫製するのはほとんどが若い女性だ。ノルマをこなすべく、猛烈なスピードでデニム生地を裁断・縫製している。ある実地調査によると、メキシコのテワカンのある労働者は、1時間で100本以上のジーンズの胴回りを縫うという。汚染された空気を吸いながら働き、指はしびれて感覚を失っていく。こうしてもらえる1日の報酬は5.20ドル。そこで作られたジーンズは、アメリカで1本54ドルで販売されていた。
原 料
ジーンズは綿で作られており、青色をしているのは藍染めによる。棉は50か国以上で栽培されているが、5大生産国(中国、アメリカ、インド、パキスタン、ブラジル)の総生産量は、世界の年間生産量である約8800万ベールの80%を占める(1ベールは約218kgで1200着のTシャツを作ることができる)。これらの棉の多くは遺伝子組み換えされている。棉の栽培には1週間当たり51ミリという大量の水が必要で、大部分は灌漑に依存している。実に手のかかる作物で、膨大な量の農薬、除草剤、化学肥料が使われる(農薬行動ネットワークによると、1998年に世界で生産された農薬の1/4近くは、棉栽培に使用された)。また、食糧生産に適した土地の多くも棉が埋め尽くしている。
藍染めは、紀元前2500年より前にインドで始まったと考えられている。昔から藍染めの染料は植物由来で、色素含有量が特に多いのは熱帯のマメ科植物のコマツナギ属である。インドとの海上貿易が始まる1500年頃まで、ヨーロッパではホソバタイセイ〔ヨーロッパ産アブラナ科〕などの染めが弱い植物を主に使い、古くなった尿に混ぜて染め液を作っていた。1900年ごろ採算ベースの人造藍が開発されると、急速に植物は原料として使われなくなった。現在、人造藍は石炭や石油から生産されており、その生産量は毎年2万トンにものぼる。これに伴い、大量のシアン化物といった有害物質が地表水へと流れ込んでいる。 WWマガジン2005年
7/8月号より |