水不足が世界を驚かす原本編著者:サンドラ・ポステル日本語版監訳:福岡克也日本語版訳:環境文化創造研究所出版社名 :社団法人家の光協会刊 発行形態 : 単行本 ISBNコード: 4259545825 価格 : \1995(税込み) 目次
日本語版へ寄せて 灌漑は人類社会が進歩するのを六〇〇〇年もの間にわたって、支え続けて来ました。というのも、灌漑によって安定した水が使えるようになって、農業による食糧の供給も、それなりに安定するようになりました。それ以前は、だれもが食べ物を得る仕事にかかり切りになっていたわけですが、農業の生産力が向上することによって、ようやく農作業をしないで、それ以外のことに時間を費やすことができるようになったわけです。つまり、文明を支えるさまざまな活動が生まれてくるのです。 歴史家は楔形文字と車輪を発明したのは、人類社会にあって初めての灌漑社会を築いたメソポタミアのシュメール人の功績としています。これは、まちがいない史実なのでしょう。しかしながら、歴史が私たちに示すもう一つの重要な教訓は、灌漑に支えられた文明社会は多くの場合、いずれ滅びるということです。灌漑に伴い塩分が農地へと少しずつ蓄積されていくこと、用水路などが不充分な管理で使いものにならなくなっていくこと、水の支配権をめぐって強大な軍事力が必要になってくること、干ばつや洪水をもたらす気候変化に突然に見舞われること――こうした、さまざまな要因が灌漑文明を根底から揺るがしてきました。二十世紀の技術進歩は誠に目覚ましいものでしたが、実は今日の灌漑もこうした危ない要因をそのまま引きずっているのです。 世界の食糧の約四〇パーセントは、世界の農地の約一七パーセントにすぎない灌漑農地から得ています。こうした灌漑の基盤の六〇パーセントほどは、この半世紀のうちに建設・整備されたものですが、今日までの生産力を今後とも維持していけるものか危惧せざるを得ない、さまざまな良からぬ状況を呈してきています。 たとえば、灌漑農地の五分の一では塩分が相当なレベルまで蓄積しています。アジアの主だった流れも含めて、世界各地の多くの河川が、深刻な水不足に悩まされています。場合によっては、一年間のある期間は川底を見せるほど流れは細くなり、農業生産は極めて不安定なものになります。さらに膨張する都市や拡大する工業生産へと、農業用水が転用されています。地下水の汲み上げも、降雨などによって補給される以上のペースでなされ、そうした「汲み上げてはならない水」の量を世界レベルで合計してみれば一六〇〇億立方メートルにもなります。これは、いわば水の貯金をひたすら使い果たしているに等しいわけで、もともとは将来の世代のために手を着けずに残しておくべきものといえます。その一六〇〇億立方メートルの水によって、世界の穀物生産量の一〇分の一近くが支えられていることになります。また、限られた水資源への需要は増える一方で、世界各地で水紛争が絶えません。 本書は灌漑農業の危機的状況についての報告にとどまるものではありません。そうした状況をどのように克服すべきか、水利用効率の良い新たな灌漑技術も紹介し、また灌漑を基本的に見直して改めて構築する考え方も示したつもりです。 水利用効率の高い灌漑の方法、さらには灌漑の適期と適量を農業者に伝える情報技術など――二十一世紀の厳然たる水資源状況に灌漑農業を適応させていく技術はたくさんあります。とすれば、こうした適応を現実のものとしていく「水革命」に不可欠な条件は、市民と政治家の間に「水革命」が必要であること、そしてそれが決して不可能でないとの認識を高めていくことです。 さて、日本は伝統的な水田という灌漑農地を持っています。面積的には世界で二〇番目ぐらいにありますが、日本の社会と文化を育んできた一つの大きな基盤と思われます。高い水利用効率、環境と共生できる営農形態を世界で実現していく上で、日本の役割は大きなものがあります。農業関連の先端的な技術や管理運営方法のみならず、日本国内には水田という灌漑農業のより一層望ましい展開を図り、途上国には「水革命」へ向けて、より積極的な支援を実施してくれることを期待しています。本書が読者の皆さんの知的関心を満たし、かつ灌漑農業・文明社会・水資源といったことをめぐる、新たな認識と発想を確立するするきっかけになります。 関連レポート
第1章 21世紀のキーワードは「水」水を語らずして、人類の文明史を語ることはできない。定住農業の始まり、都市の発展、初期帝国の誕生は、とりもなおさず、より豊かな土地、より居住可能な土地を得るための治水の物語である。古代シュメールやバビロニアの時代から二十世紀のインドやアメリカに至る、各時代の指導者たちは、社会を発展させ政治的支配力を強化するためには、河川の大規模工事計画が重要だと考えてきた。一九九七年、エジプトのムバラク大統領は、同国西部の砂漠を灌漑するために大規模な運河を建設する計画を発表した。彼は、ダムの完成や運河の開通を国民の誇りと国家の発展を祝う行事と位置づけた、エジプト代々の指導者の例に習ったのである。いまから五〇〇〇年前、「サソリ」王の杖の先端の有名な彫刻は、エジプトの先王朝時代の支配者の一人が長い柄の鍬を握って厳かに溝を掘っている姿だった。 水に関しては、自然はいつも厳しかった。日射量に恵まれ、かつ温暖で、肥沃な農耕に絶好の土地の多くで、残念なことに降雨量が少なすぎたり気まぐれであったりした。世界の河川の多くは狂暴で、流量は不安定だ。水が最も必要なときに流量が少なく、最も必要のないときに多い。多くの水は地下水として隠れるように存在し、地表に取り出すには大量のエネルギーが必要である。地球は水の惑星かもしれないが、だからといって人間がたやすく水を利用できるわけではない。 メソポタミア北部の高原で、定住農耕が始まったのは約一万年前である。そこには十分な食糧を育てるのに必要なだけの雨が降った。しかし農業のために水を管理するようになったのは、それから数千年後の紀元前四〇〇〇年頃に、冒険好きな農民の一団が、南のチグリス川とユーフラテス川に挟まれた平原に移住してからである。そこは後に「肥沃な三日月地帯」と呼ばれるようになった地域の真ん中で、現在のイラクにあたる。彼らはペルシャ湾にほど近いエリドゥの地で、新しい環境への順応を始めた。 彼らは、川やその周辺にあふれるばかりにいる魚や水鳥を常食するようになった。春にユーフラテス川が氾濫すると、その後の沼のような氾濫原に種子をまいた。祖先が数千年にわたって高原で行ってきた農作業を続けたわけだが、一つだけ大きな違いがあった。この新しい土地には雨が少なかったのである。作物は芽を出し、生長するのだが、収穫期を前に乾燥で枯れてしまった。彼らの打開策は単純なものだったが、それが文明史の上に大きな影響を長く及ぼし続けることになった。彼らは乾期に農作物に水を与えるために溝を掘り、川の流れを少し迂回させた。こうしてメソポタミアの平原で、初期の移住者の創意工夫で灌漑が生まれた。 灌漑によって土地は、それまでにない生産力を持つようになり、畑に人工的に水をやれば、自給量を上回る作物が収穫できることがわかった。乾燥しすぎて作物が育たなかった地域も、生産的な畑に変えることができた。はじめて大量の余剰生産物が得られ、社会の一部の人間が農作業から解放されて他の活動を求めるようになった。この非農民階層が、冶金、織物、陶器、工芸、文学、建築、数学など、幅広い分野で発明や進歩をもたらした。社会活動の範囲が広がり、中央集権管理の必要性が高まるにつれて、社会の階層化が進んだ。人口も人口密度も増え、真の意味での都市が生まれた。要するに灌漑は人間の発達の形態をがらりと変え、新しい基盤を創り出した。そしてそこに、文明が芽生え花開いたのである。 同時に灌漑は、新たな弱点を生み出した。灌漑によって農業は、ダム、水路、堤防をはじめとする水利施設に依存するようになったが、それらの施設は敵の格好の攻撃対象だった。また施設は維持する必要もあり、多くの組織的な労働力が必要だった。そのため一部には奴隷の労役が当てられた。人口増加のプレッシャーと資源の奪い合いが、軍国主義と地域の戦争の一因になったのである。 過去六〇〇〇年の間には、多くの文明が現れては消えていった。そのなかで灌漑が果たした役割は、歴史的興味だけではとても語り尽くせない。新しいミレニアムが始まっても、人間社会は相変わらず灌漑に依存している。近代的灌漑の黎明期にあたる一八〇〇年には、全世界の灌漑総面積はわずか八〇〇万ヘクタールで、オーストリアの国土面積と同程度だった。今日では灌漑面積はその約三〇倍となり、エジプトの国土面積の二・五倍にもなる。いまでは私たちの食糧の約四〇%が、灌漑農地から生み出されている。多くの農業専門家が、今後三〇年間に必要となるであろう、さらに多くの食糧の大部分を、こうした灌漑農地が供給するものと考えている。だが、後の章でも述べるように、私たちの灌漑の基盤は過去のどの時代よりも危機にさらされている。その兆しは無数に見えており、多くの問題が恐ろしいほどのスピードで表面化している。 インド、パキスタン、中国の華北平原、アメリカ西部など、世界有数の食糧生産地域で地下水が汲み上げられているが、そのほとんどの地域で、自然が地下水を補給する以上のペースで利用されている。多くの河川流域、特に人口の過密なアジアの流域では、「手つかずの水」はほとんど存在しない。世界の一人当たりの灌漑面積は二〇年近くも減り続けている。新たな大規模水利事業にかかる経済的、社会的、環境的コストが上昇しているからである。灌漑農地のおよそ五分の一は、土壌の塩類集積が広がって生産力を失いつつある。水が不足するにつれて、水をめぐる争いが激化している。隣接する州と州あるいは国と国、また農村と都市、さらには人間と環境との間の争奪戦である。 会議は抽象論でおさまるものではなかった。人間の食生活を支える主要穀物の生産量が、全世界で五年以上にわたって増加率を落としていたからだ。一九五〇年から九〇年まで、穀物生産量は年平均二・一パーセント増加していたが、九〇年から九八年の間は一パーセントに落ちた。八年間では長期の傾向とは言えないまでも、低下したということは将来の食糧供給に危険信号がともったということだ。なぜ増加率が落ちているのだろうか。一時的な異常なのか、それとも長期の下降が始まっているということなのか。そしてこれには、どのような対応が必要なのだろうか。 食糧生産は人口増加に歩調を合わせて増やすことができるものなのか。この議論は、教会の聖職者であったトーマス・ロバート・マルサスが人口に関する有名な小論文『人口の原理』を書いて以来二〇〇年間、大なり小なり絶えることなく続いてきた。マルサスの主張を簡単に言えば、人口は幾何級数的に増えるが食糧は算術級数的にしか増えないから、増加する人口がいずれ食糧生産を追い抜くというものである。そして彼は飢餓、病気、凶作による死亡率の増加が、人間の数と食糧供給とのバランスを保つだろうと仮定した。 当時、マルサスは移住、工業化、技術の進歩によって、そのような悲惨な状況が回避され得ること必ずしも予測していなかったが、彼の主張の本質は生き続けた。マルサスが小論を発表してから一〇〇年後の一八九八年、ウィリアム・クルックス卿が英国科学協会で「小麦問題」と題するスピーチを行った。そのなかで彼は、科学者が世界の穀物生産量を押し上げる新たな手段を見つけられなければ、一九三〇年代には飢餓が広まっているだろうと警告した。 一世紀を経た今日でも、同じ議論が続いている。だが大きく違うことが二つある。まず第一に「人口増加」と「技術の進歩」との競争のペースが、非常に速くなっていること。マルサスが最初の小論を著した当時、世界の人口は約九億だった。農民、科学者、技術者たちは一六〇年かけて、増加する二〇億人への食糧生産手段を見い出せばよかった。しかし、三〇億から五〇億に人口が増加するのに、三〇年を要さなかった。私たちはすでに、さらに二〇億も多い七〇億人への増加の半ばにさしかかっている。二〇一五年ごろには、七〇億人に達するのだろう。年間の人口増加率はかなり落ちてきているとはいえ――ピークの一九六四年には二・二パーセントだったが、九八年には一・四パーセントになっている――それでも毎年、約八〇〇〇万人が新たに人類の仲間入りをしている。毎年、いわばドイツが誕生しているわけだ。 第二の違いは、数十年前までは世界の食糧の追加分は、放牧地、農耕地、漁場という三つの主要な食糧供給源から供給されていたが、それらのうち二つはすでに供給能力の限界に達しているか限界を超えていることである。家畜の過放牧によって、世界の牧場と牧草地の二〇パーセントが生産力を失ってしまっている。これは、こうした土地で飼われている約三三億頭という家畜頭数は、今後ほとんど増えないことを示唆している。食肉の今後の増加分の大半は、放牧地ではなく肥育するための畜舎で生産されることになり、それはとりも直さず飼料用の穀物需要が増すということである。 また魚の乱獲によって天然魚も激減した。国連食糧農業機構(FAO)の報告では、最も重要な一五の漁業水域のうち一一の水域で、すでに漁獲量が限界に達しているか限界を超えている。一人当たりの海水域と内水域を合わせた天然魚の漁獲量は、一九八八年をピークに九七年にはそこから約八パーセント下がっている。食肉生産と同じように、魚の供給量を増やすには養魚場が頼りだが、これにも畜舎飼いと同じように土地と餌用の穀物が必要になる。 耕地に目を転じると事態はさらに複雑で、予測は暗いものになる。世界中の耕地面積は実質的にほとんど拡大しないだろうということで、アナリストの見解はほぼ一致している。毎年およそ一〇〇〇万ヘクタールの耕地が、土壌侵食のために、あるいは工場や住宅やショッピングモールの建設などに転用されている。FAOの報告では、一九七九年から九四年の間に耕地の総面積は年平均一六〇万ヘクタールずつ拡大したことになっているが、減少分は公式の統計に十分に反映されないことが多く、正味の拡大面積は限りなくゼロに近い状態であろう。また、新たに耕地を拡大できても、例えばブラジルや中央アフリカなどのように、長期的な農業生産力は概して低く、森林の消失、動植物種の絶滅をはじめとする環境コストが高い地域がほとんどである。 農業生産のなかでいまだに改善の余地があるのは、第一に土地の生産性である。単位面積当たりの生産量をなんとか高めようと努力することだ。しかし、研究者や農民たちはすでにこれまで、長い時間をかけて大いに努力してきた。一九五〇年から九七年までの間に穀類の作付面積は一七パーセントしか広がっていないが、穀物生産量は一九〇パーセントも増加して、二・九倍にもなった。この間の穀物作付地の土地生産性はなんと二・五倍にもなり、加えて漁獲量や家畜の飼養頭数も大幅に増加させることができたから、食糧生産は人口増加に追い着いて行くことができた。マルサスの悪夢を寄せ付けない勢いだったといって良い。 全世界の穀類・食用油の原料となる油糧種子・果実・野菜・その他の農作物の収穫には、とほうもない量の水が必要だ。例えば、一トンの小麦を産出するには約一〇〇〇トンの水が要る。現在、世界の農作物は水の約七〇パーセントを直接に降雨から、約三〇パーセントを灌漑から得ている。しかし将来的に生産が増加すると、灌漑への依存度はかなり高くなるはずである。なぜならアメリカのコーンベルトや西ヨーロッパの主要な小麦生産地帯など、降雨量が十分でかつ安定している穀物作付地の多くが、すでに限界に近い生産をしているからである。農業専門家は、品種改良や生物工学によって干ばつや病害虫に強い品種が作られれば、これら地域の生産量はいくぶん増加すると考えているが、近い将来に飛躍的な増加はないと見ている。降雨量の少ない地域の農民たちは、投資しても元がとれるだけの水を確保できると思えなければ、より良い種子を購入し、肥料を施し、年間を通じて二度、三度と作付をするようにはならないだろう。つまり灌漑が必要なのである。 二〇二五年に必要とされる食糧生産レベルに到達するためには、最大で二〇〇〇立方キロメートルの灌漑用水がさらに必要だろう。この量はナイル川の年間流量の二四倍、コロラド川の一一〇倍に相当する。後の章で詳しく述べるが、これだけの水量を追加供給するのは難しいことだろう。河川流域全体の土木工事と機械による大量の水の制御を特徴とする近代の灌漑は、息切れを起こし始めている。 要するに灌漑の基盤は、私たちがより一層、灌漑に依存しようとしているいま、多数の弱点を見せているのである。塩類の集積、土砂の流出と堆積、インフラの軽視、宗教的対立、予期せぬ気候変動など、古代の灌漑文明を知らぬ間にむしばんでいたのと同じ脅威が頭をもたげている。灌漑システムを改めなければ、そして大規模な灌漑工事が引き起こす結果と立ち向かわなければ、灌漑の環境的コストは著しく高騰し、灌漑の生産性は低下するだろう。そして、すべての人間を養えるまで食糧生産を拡大することもできないだろう。 本書では、もし私たちが、八〇億人の水需要を満たしつつ、経済や生命活動を支えている自然生態系を守ることを望むのなら、水の生産性を二倍にする――河川湖沼、地下水から得る水一リットルから、これまでの二倍の利益を得る――必要があることを論証する。この難題に対処するためには、水を使う代わりに知識とより良い管理方法を駆使して、灌漑をスリム化することも必要だろう。また水を節約するあらゆる技術を広めて、農民が僅かな水でより多くの収穫を得られるようにしたり、今日の灌漑の目に余る欠点――技術や方法を提供しないため、零細貧困農家が灌漑の恩恵を受けられないこと――を改めることも必要だろう。特に南アジアとアフリカのサハラ以南で、いま飢えて栄養不足の状態にある八億四〇〇〇万人のために食糧生産と所得を押し上げられるかどうかの鍵を握っているのが、灌漑の普及なのである。 おそらく最も難しいのは、現状に満足している独りよがりを振り払うことだろう。灌漑が食糧増産に一役買ったおかげもあって、現在の食糧の価格は歴史的に見ても低い水準にある。しかし食糧価格が安いために、新たな投資をためらわせるようになっている。その結果、資本価値が総計で一兆九〇〇〇億ドルにもなる世界中の灌漑が顧みられない危険性がある。おまけに、宇宙を旅しようかというこの時代、インターネットで瞬時に通信ができ、医学の進歩で寿命も伸びている今の時代に、世界が必要とする食糧を得るのに十分な水があるか否かといった単純な問題で頭を悩ませるのは、ひどくつまらなく思える。しかしハーヴァード大学の人類学者ティモシー・ワイスケルは十年前、アメリカ上院の委員会で「ポスト農業社会などというものはない」と念を押した。そのような社会があるかのように振る舞うことは、社会の崩壊を促すことである。 灌漑の歴史は六〇〇〇年に及ぶ。近代灌漑がおよそこの二〇〇年間に行ってきたことは、経験の浅い実験にすぎず、結果も出ていない。私たちが歴史から学ぶ最も重要な教訓とは、灌漑を基盤とするほとんどの文明は衰退しているということである。紀元後、第三のミレニアムを迎えるに際しての問題は、「私たちの文明は衰退はしないのか」ということだ。
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